ボクが東京に来た1977年当時はディスコの中心地は新宿でした。「サタデーナイトフィーバー」で盛り上がっていた第一次ディスコブームの頃。六本木・赤坂にも店はあったけど敷居が高かった。ただ、この時に新宿や六本木で遊んだり仕事したりした経験は大きかったですね。ディスコの良い部分も悪い部分もよく見たし、その後の「マハラジャ」のプロデュースにも大きく関わっていると思います。六本木にはもともとドレスコードがあったし、ボクら小僧は入れないようなステイタス感もあって、ホンモノの大人の街だったんですよ。当時から店をやるなら、大人の文化を楽しめる場所を、と思っていました。その後は「カフェバー」の時代。
小箱の店で音楽を聴きながら、軽く踊るようなお店ですね。これは今あるクラブカルチャーの走りなんだけど、ミーハーな夜遊びの王道だったディスコがいい、と言う人の志向とはちょっと違っていたんでしょうね。ちょうどそんなムードの時に、「マハラジャ」が東京に進出したわけです。