「もともと歌手になりたくて東京に来て、平尾昌明さんのライブハウスにいたんです。
85~86年にはシングル6~7枚だしてますが、忙しくなってきまして」大ブレイクしたマハラジャは平日でも一晩100万、週末は300万の売り上げ、成田さん自身の生活も多忙をきわめた。
「当時、マハラジャが好きという人は本当によく来ていました。毎晩のように通ってくる人も少なくなかったんです。芸能人も多かったですね。ジャニーズのメンバーとか。ゴルフの丸山プロなんか、当時マハラジャから学校に通っていたくらい」マハラジャの7割は女性客だった。80年代は芸能人でなくても人に見られること、見られてもっと綺麗になることを、女が意識し始めた時代。そんな女性の心理にすっぽりとはまりこんだ仕掛けがお立ち台と、もうひとつは黒服のスタッフたちの存在だ。
「10年間の間にはいろんなお客さんがいました。女性のお客さんから店のスタッフへのアプローチも多かったですよ」