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成田勝さん



今月の人- 一覧 -
05年03月:長江俊和さん
05年02月:中谷彰宏さん
05年01月:泉麻人さん
04年12月:南さん
04年11月:木村和久さん
04年10月:成田勝さん




1959年生まれ。84年東京・麻布十番に「マハラジャ」をオープン。その後「東京マハラジャウェスト」「東京マハラジャイースト」「青山キング&クイーン」「川崎キング&クイーン」「エデンロック」などを次々に展開し、80年代を 代表するディスコ・カルチャーを生み出した。現在はイディア株式会社代表取締役社長として 「プレゴ」「六本木しゃらら亭」を経営。ほかにイベントのエグゼクティブ・プロデ ューサーなどでも活躍中。

現在、イベントのプロデュースやアドバイザーを務める成田さん。今も当時の仲間に会うと「いい時代だったね」「80年代はいい女が多かった」など楽しい話で盛り上がると言う。「あれだけの数の人たちが同じ時代に一体となって盛り上がった、そういう感動やスケール感はたぶん初物だったのでしょう。自分も踊った、まわりの人間も楽しんだ・・・そんな共通の思い出は自分自身にとっても貴重なものだと思います。当時は夜の東京へ行けば刺激的で楽しいことが待っている!と毎晩いろいろな人がやってきていました。今の遊びは週末集中型に変わってきていますね。毎晩、遊びに行くという人はいないでしょう。経済的な面もあると思う。携帯やパソコンにお金をかけた結果、他の遊びは縮小していると思いますよ。毎月、携帯料金に\20000払っているとしたら、昔なら4~5回遊べる金額。若い世代の遊びも変わったし、女性の考え方も大きく変わったと思う。
# by eighties_002 | 2004-10-20 18:18

4億という破格の開店資金を投じてオープンした麻布十番の「マハラジャ」。しかし、84年当時の麻布十番は都心でありながら行きにくい場所。「なぜ麻布十番に?」と反対する声も多かった。
「批判は多かったです。でも批判の多い時にこそ当たる気もする。この商売はバクチのように思われがちですが、事前準備をおこたらず満足度の高いサービスを積み重ねていくことで成功に転じる。4億の資金はすぐに回収できました。なにより開店の時に集まったスタッフ70名が優秀だった。いろんな店から優秀な人材を集めましたから。例えば70名のスタッフが2名ずつお客様を連れてくれば140人。仕事はなんでもそうだと思いますが、人と人とのつながりで広がる。『あの人がいるから行ってみようか?』と思ってもらええるような魅力のある人間が多かったですね。そこでは『お客様には夢を見せてあげよう、お客様もスタッフも花になろう』というコンセプトでやっていました。
# by eighties_002 | 2004-10-20 18:17

バブルの盛り上がりとともに「マハラジャ」は日本全国を席捲し、89年にはホノルル店もオープン。「マハラジャ・カルチャー」は一大ムーブメントに。その後を追いかけるように東京では「エリア」などの大箱ディスコが次々に生まれ、70年代を超える第二次ディスコブームが訪れた。
「時代の波にも合ったのだと思います。新宿全盛時代のディスコはどちらかいうと、アンダーグランドなイメージ。喧嘩も多かった。だからマハラジャのコンセプトのひとつはそんなディスコカルチャーを変えることでもあったんです。来やすい店、そしてドレスコードを設定したファッション性の高い店。お店はどこもそうですが、新しく入ってくるお客もいれば、お洒落で流れに敏感なお客はよそへ行く。それで新しいステージを作る必要もありました。ステイタスをキープするためにも、タダ券は配らない、女性客の満足感を満たすなどの配慮は必要。そんないくつかの仕掛けが時代の空気とシンクロして、マハラジャは大きくなったんです」
# by eighties_002 | 2004-10-20 18:17

ボクが東京に来た1977年当時はディスコの中心地は新宿でした。「サタデーナイトフィーバー」で盛り上がっていた第一次ディスコブームの頃。六本木・赤坂にも店はあったけど敷居が高かった。ただ、この時に新宿や六本木で遊んだり仕事したりした経験は大きかったですね。ディスコの良い部分も悪い部分もよく見たし、その後の「マハラジャ」のプロデュースにも大きく関わっていると思います。六本木にはもともとドレスコードがあったし、ボクら小僧は入れないようなステイタス感もあって、ホンモノの大人の街だったんですよ。当時から店をやるなら、大人の文化を楽しめる場所を、と思っていました。その後は「カフェバー」の時代。
小箱の店で音楽を聴きながら、軽く踊るようなお店ですね。これは今あるクラブカルチャーの走りなんだけど、ミーハーな夜遊びの王道だったディスコがいい、と言う人の志向とはちょっと違っていたんでしょうね。ちょうどそんなムードの時に、「マハラジャ」が東京に進出したわけです。
# by eighties_002 | 2004-10-18 14:56

「ワンレン・ボディコン」の女性たちのメッカでもあった「マハラジャ」。80年代の女性、そして今の若い女の子たちをよく知る成田さんは「変わったのはファッションだけではない」と言う。
「よく当時の仲間と集まると『昔はいい女いたな』と言う人が多い(笑)。もちろんファッションも変わった。今はラフなファッションが主流だけど、ボクは女性の気持ちそのものがラフになっているような気がします。昔の方がもうちょっと気持ちも引き締まっていた。今、あるお店で日替わりでレゲエやヒップホップなどジャンル別のイベントをやっているのですが、終了後のお店の汚れ方、これがヒップホップがイチバン汚い。80Sは汚れない。(笑)音楽を愛する姿勢も、ラフなファッションも認めるけど、人に迷惑かけるのは良くないと思うんです。昔は歩きタバコしている女性なんていなかった。女性は女性らしく、っていう価値観は時代が変わっても変わらずあってほしいものですね」
# by eighties_002 | 2004-10-18 14:56

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